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熊本地方裁判所 昭和60年(ワ)840号 判決 1993年3月29日

原告

隈部真美子

右法定代理人親権者父兼原告

隈部峯吉

同母兼原告

隈部凉子

原告ら訴訟代理人弁護士

村山光信

竹中敏彦

松本津紀雄

田中純忠

加藤修

被告(亡木場哲郎訴訟承継人)

木場邦子

木場聡子

被告

安永正民

右被告ら訴訟代理人弁護士

川野次郎

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

糸山隆

外一六名

主文

一  被告安永正民は、被告木場邦子及び被告木場聡子と連帯して、原告隈部真美子に対し、金二三三七万一三八四円及びうち金二一三七万一三八四円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部峯吉に対し、金二二〇万円及びうち金二〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部凉子に対し、金二二〇万円及びうち金二〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を各支払え。

二  被告木場邦子は、被告安永正民と連帯して、原告隈部真美子に対し、金一一六八万五六九二円及びうち金一〇六八万五六九二円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部峯吉に対し、金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部凉子に対し、金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を各支払え。

三  被告木場聡子は、被告安永正民と連帯して、原告隈部真美子に対し、金一一六八万五六九二円及びうち金一〇六八万五六九二円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部峯吉に対し、金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告隈部凉子に対し、金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五一年三月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を各支払え。

四  原告らの被告安永正民、被告木場邦子及び被告木場聡子に対するその余の請求並びに被告国に対する請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らと被告安永正民、被告木場邦子、被告木場聡子との間においては、これを五分し、その三を被告安永正民、被告木場邦子及び被告木場聡子の負担とし、その余は原告らの負担とし、原告らと被告国との間においては全部原告らの負担とする。

六  この判決は、第一項ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告隈部真美子に対し金四四〇〇万円、同隈部峯吉、同隈部凉子に対し金五五〇万円及びこれらに対する昭和五一年三月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  本案前の答弁(被告国)

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  請求の趣旨に対する答弁

1  被告木場邦子、同木場聡子、同安永正民

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  被告国

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

(三) 仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告隈部真美子(以下、原告真美子という。)は、原告隈部峯吉(以下、原告峯吉という。)、同隈部凉子(以下、原告凉子という。)の二女である。

(二) 木場哲郎(以下、木場医師という。)は菊池市内において産婦人科医院を営んでいたが、昭和六一年一月一四日死亡し、被告木場邦子及び被告木場聡子が訴訟承継した。

(三) 被告安永正民(以下、被告安永という。)は、菊池市内において眼科医院を営むものである。

(四) 被告国は、熊本市内において熊本大学医学部附属病院(以下、附属病院という。)を営むものである。

2  原告真美子の失明に至る経緯

(一) 原告真美子は、昭和五〇年一〇月一七日午後九時二六分、木場医師の経営していた木場医院で出生した。

在胎週数三一週四日、体重一六五〇グラムの未熟児であり、保育器に収容された。

(二) 木場医院での保育状況

(1) 体温について

原告真美子は出生直後より保育器に収容されたが、保育器の器内温度は摂氏三〇度(以下、摂氏は省略する。)、湿度は九〇パーセントに設定され、原告真美子は保育器内では裸でおむつをはめていただけだった。出生直後の昭和五〇年一〇月一七日の体温の記録はなく、同月一八日の体温は三五度以下ないし35.4度、同月一九日から同年一一月一〇日まではほとんど三五度以下で、同月一五日にようやく35.5度から三六度未満となり、三六度になったのが、ようやく出生から三七日を過ぎた同月二三日以降であった。

(2) 哺乳について

哺乳は生後約三六時間後である昭和五〇年一〇月一九日から直接哺乳で開始され、その後二四時間続けられた。量は哺乳開始時より一回五〜一〇ミリリットルであり、嘔吐や哺乳中にチアノーゼが出現した。同月二〇日から鼻腔による経管栄養に変更されたが、その内の二分の一から三分の一の量が直接哺乳で与えられた。

最低体重になったのは同月二四日(第七生日)、生下時体重への復帰は、同年一一月九日(第二三生日)であった。

同年一〇月一九日から同月二三日までの五日間にわたり、五パーセントブドウ糖二〇ミリリットルをビタミン等と共に、皮下注射された。

(3) 酸素投与について

出生直後より二四時間については、平均してほぼ2.1リットル/分、それに続く約九時間は平均して約2.8リットル/分の酸素が投与されているが、原告真美子の血液中の酸素分圧、保育器内濃度はいずれも測定されていない。

(三) 被告安永は、同年一一月七日及び同年一二月三日、原告真美子の眼底検査をしたが、いずれも異常なしと診断した。

(四) 原告真美子は、同年一一月二八日、木場医院を退院した後、肺炎の疑いがあったため、同年一二月二六日、附属病院小児科に入院して治療を受け、昭和五一年一月一〇日に退院したが、その間酸素テントによる酸素投与を受けた。

(五) 原告真美子は、同年三月一一日、附属病院眼科で診療を受けたところ、未熟児網膜症の疑いと診断され、改善の見込みはないものと判断された。

3  未熟児網膜症について

(一) 未熟児網膜症は、未熟児が保育器に収容されて保育される場合、器内に使用される酸素の作用によって未熟児の後部水晶体に血管の異常増殖を来たし、これが原因となって失明する病気である。すなわち、未熟児は網膜とくにその血管が未発達で、血管は周辺部(鋸歯状縁)まで達していないところ、酸素投与により動脈血酸素分圧が上昇して未熟な網膜血管を収縮させて、ついにはその先端部を閉塞させ、その後酸素供給の停止によって無血管帯の網膜に異常な血管新生、硝子体への血管侵入、後極部血管の怒張、蛇行がおこり、網膜剥離にいたるのである。

未熟児網膜症は、Ⅰ型とⅡ型とに分けられている。

(1) Ⅰ型は、主として耳側周辺部に増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内浸出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をたどるタイプである。

(2) Ⅱ型は、主として極小未熟児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、全周に広い無血管帯及び混濁浮腫を有し、後極部より血管新生が出現するタイプであり、比較的早い経過で網膜剥離を起こすことが多い。

(二) 未熟児網膜症については、まず、全身管理、酸素管理などを適切に行い、その発症を防止することが重要である。

(1) 体温管理

新生児は体温を調節する能力が不十分なため、環境温により容易に体温が上下する。ことに、未熟児は、体温調節機能が未発達のうえ、体重あたりの体表面積が大きく、皮下脂肪が少ないことから熱を放散しやすく、低体温におちいりやすい。そして、体温異常は代謝異常によりさらに体温異常を増幅し、悪循環をきたす。しかも、低体温では、生体は寒冷刺激に対応して熱産生を高めるため酸素消費量が増大し、酸素がよけい必要となって、酸素投与を余儀なくさせる結果となる。

しかし、急激な体温の上昇など著しい動揺は体力の消耗を伴い、全身状態に悪影響を及ぼすから、低体温の場合に体温を上昇させるには、環境温(保育器内温度)を皮膚温より1〜1.5度高めにしながら徐々に行う一方、保育器内でフードを使用するなどして、児の体温喪失を防ぐ必要がある。

そして、そのために、医師は、定期的に体温を測定するとともに、適度の環境温を維持し、双方の温度を記録しなければならない。

(2) 栄養管理

未熟児の栄養管理上必要なことは、栄養の必要量と栄養の方法である。栄養の必要量は、一日当たり蛋白質四グラム・カロリー一二〇カロリー/kg・水分一五〇〜一六〇ミリリットル/kgであり、およそ一〇〜一四日で目標に達することが望ましいとされている。

そのための栄養の方法としては、未熟児の場合は哺乳力が弱いこと、嚥下運動が未完成なため直接哺乳だと誤嚥の危険があることなどから、体重が約二〇〇〇グラムに達するまではカテーテル栄養と直接哺乳とを併用して行い、授乳するミルクまたは母乳の増量方法としては、一五〇〇グラム前後の児では約三六時間の飢餓期間を置いて一回三〜四ミリリットルを一日八回(三時間毎)哺乳し、問題がなければ、一日毎に一回当たりの哺乳量を三〜四ミリリットルずつ増量していく方法を標準的としている。

(3) 呼吸管理、酸素管理

未熟児の保育にとって最も大切なことは呼吸の確立であるが、それには、安静、気道の清掃、時として酸素の供給等が必要である。

酸素を使用するにあたっては、使用するための基準にそって行わなければならず、その基準は、低酸素血症、循環障害、呼吸障害等の場合である。そして、その使用量、濃度は個々の場合によって異なるが、いずれにしても可能な限り少量を低濃度で、また短期間に中止することが必要である。酸素濃度は原則として四〇パーセント以下としなければならないが、四〇パーセント以下であれば安全であるというわけではなく、酸素は流量だけでなく、濃度も濃度計を備えて一日数回測定記録すべきである。

(三) 次に、未熟児網膜症が発症した場合には、血管が硝子体腔のほうへ伸びかけた段階で光凝固または冷凍凝固の治療を行い、その進行を防ぐ必要があるが、未熟児網膜症の早期発見のためには、定期的に眼底検査を行う必要がある。

(1) 光凝固法・冷凍凝固法について

光凝固法とは、キセノンなどの高エネルギー光源から照射される光を集め、網膜、脈絡膜などの組織の熱凝固を行い、病変部の破壊または修復機転を利用して治療を行う方法であり、冷凍凝固法は、冷凍刺激を用いてこれを行う方法である。

昭和四九年度の厚生省の特別研究費補助金を受けて未熟児網膜症の診断及び治療基準に関する研究が行われたが、その研究班報告書でも光凝固、冷凍凝固の有効性が認められているのであり、この報告書は昭和五〇年八月には、一般の眼科医に全文がわかるかたちで発表されているのであるが、これはそれまでの研究成果をまとめたものにすぎないから、遅くともこの段階以前に治療基準及び治療法が確立していたというべきである。

(2) 眼底検査について

眼底検査は、生後一週目から実施するのが望ましく、経過を観察するために一週間毎に定期的に実施すべきである。そして、血管ののび具合によっては毎日診る必要がある。

そして、眼底検査にあたっては、未熟児網膜症の病変が網膜周辺ことに耳側周辺部からみられることから、網膜の周辺部ことに耳側の周辺部を十分観察する必要があり、そのためには、まず十分散瞳しておく必要があり、次に、検査する姿勢としては、患者をベッドに固定して検査を行う必要がある。

更に、検査に際しては、麻酔をかけたうえ、開瞼器及び強膜圧迫子を使用しなければならず、両眼倒像鏡など、明るくて、周辺部を含めた眼底が十分観察される器具を用いる必要がある。

4  被告らの責任

(一) 木場医師の責任

(1) 原告らと木場医師との間には、原告真美子出生日において、未熟児である原告真美子の身体に障害を与えないよう木場医師が適切な看護、保育、治療の事務処理を行う旨の準委任契約が成立した。

(2) 体温管理義務違反

保育器内温度は一五〇〇グラム以上二〇〇〇グラム未満の未熟児の場合は、少なくとも三三〜三四度程度の高さに設定する必要があったところ、三〇度に設定された上、原告真美子はその他の保温措置もされることがなかったことから、低体温が二四日間も続くことになったのであって、このため、チアノーゼが出現し、酸素要求量の増大を招いたのである。

(3) 栄養管理義務違反

原告真美子が酸素投与をしなければならない状態であったとすれば、今しばらく飢餓期間を置くべきであったのであり、酸素投与が中止された昭和五〇年一〇月二四日までは経管栄養のみをすすめるべきであった。しかも、一回あたりの量も多量であり、増量の方法も無原則であって、これらの結果として、哺乳力の低下をもたらしたと考えられる。

(4) 呼吸管理、酸素管理義務違反

原告真美子に対する酸素投与は、原告真美子のチアノーゼの有無によってなされていたように思われるが、真に酸素投与が必要な場合であったか疑問であり、更に、かなり多量の酸素投与をしながら原告真美子の血液中の酸素分圧及び保育器内の酸素濃度も全く測定されていない。

(5) 木場医師は、体温管理義務、栄養管理義務、呼吸管理・酸素管理義務に違反して、原告真美子を未熟児網膜症に罹患させた。

(二) 被告安永の責任

(1) 原告らと被告安永との間には、昭和五〇年一一月七日に、原告真美子が未熟児網膜症に罹患しないように適切な眼底検査等を行う旨の準委任契約が成立した。

(2) 眼底検査上の義務違反

① 被告安永は昭和五〇年一一月七日、原告真美子の眼底検査を行ったが、定期検査の必要性を指摘しておらず、原告真美子がその後検査を受けたのは、二四日後の同年一二月三日であり、その後も継続的な検査を行わなかった。

② 被告安永は、原告真美子の眼底検査に際して、散瞳剤、強膜圧迫子、開瞼器、麻酔剤を用いず、原告真美子をベッドに寝かせず、しかも単眼の河本式検眼器を用いて行っているのであって、未熟児網膜症の眼底検査としては不十分なものであった。

(3) 転医義務違反

仮に、被告安永が医師をしていた菊池市の眼科医の医療水準が未だ未熟児の眼底検査を行える水準に達していなかったとしても、昭和五〇年ころからは、附属病院眼科においては、医師の紹介により眼底検査を行う態勢が取られていたのであるから、被告安永は、原告らに対して、附属病院眼科等未熟児の眼底検査を行っていた別の眼科専門医を紹介すべき義務があったが、被告安永は右義務を怠った。

(4) 被告安永は、眼底検査上の義務及び転医義務違反により、原告真美子が光凝固法または冷凍凝固法などの適切な治療を受ける機会を逸せさせ、未熟児網膜症により、原告真美子を失明させた。

(三) 被告国の責任

(1) 原告らと被告国との間には、昭和五〇年一二月二六日、原告真美子の疾患の治療をなすとともに、その身体に障害を与えないように附属病院において、適切な看護、保育、治療等の処理を行う旨の準委任契約が成立した。

(2) 原告真美子の治療にあたった附属病院の訴外永田憲行医師(以下、永田医師という。)らは、原告真美子が未熟児で出生し、酸素投与が行われていたことを認識していたのであるから、原告真美子に対して酸素テントによる酸素投与を行うに際し、同病院の眼科に依頼して眼底検査をなす義務があったが、これを怠った。

(3) 永田医師らが右義務を尽くせば、原告真美子の未熟児網膜症は発見でき、その憎悪を止めることができたのであって、右義務の懈怠によって、原告真美子を失明させた。

5  原告らの損害

(一) 原告真美子の損害

金四四〇〇万円

原告真美子の障害の程度は、後遺症第一級一号の「両眼が失明したもの」に該当する重篤な症状であり、昭和五一年当時の後遺症第一級に該当する〇歳の女子の損害は次のとおりであり、そのうち(2)の金額と(1)の慰謝料の内金一七三四万三四二二円を請求する。

(1) 後遺症の慰謝料

金一八〇〇万円

(2) 逸失利益

金二二六五万六五七八円

昭和五〇年賃金センサス第一巻第一表 女子労働者企業規模計、学歴計、年収入額金一三七万九九〇〇円に一八歳未満の者に適用する新ホフマン係数表中〇歳の係数16.419を掛けたもの。

(3) 弁護士費用 金四〇〇万円

(二) 原告峯吉、同凉子の損害

各金五五〇万円

(1) 慰謝料 各金五〇〇万円

原告峯吉、同凉子は、原告真美子のためにこれまでも生活の大きな部分を使い、かつ原告真美子の将来や苦しみを考えて悲しい、辛い毎日を送ってきた。その精神的損害は計り知れないが、各金五〇〇万円の慰謝料が相当である。

(2) 弁護士費用 各金五〇万円

6  結論

よって、原告真美子は、被告国に対して国家賠償法一条に基づき、被告国を除く被告らに対して、債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、金四四〇〇万円及びこれに対する昭和五一年三月一一日(原告真美子の失明が判明した日)から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、同峯吉及び同凉子は、被告国に対して国家賠償法一条に基づき、被告国を除く被告らに対して債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、各金五五〇万円及びこれに対する昭和五一年三月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  本案前の主張(被告国)

原告らは被告らに対して、いずれも未熟児網膜症等に罹患させたとして、その責任を追求しているが、被告らは、原告真美子に対してそれぞれ別個の治療行為等を行ったものであり、被告らの間に何の共同関係も存しない。

したがって、原告らの主張するところは、結局のところ被告らのうちのいずれかが、原告真美子を未熟児網膜症等に罹患させたとしていずれか一方の責任を認めるよう求めているものであって、いわゆる訴えの主観的選抜的併合と解するのが相当であり、主観的予備的併合の場合と同様に不適法な併合形態というべきであるから、本件訴えは却下されるのが相当である。

三  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  被告木場邦子、同木場聡子

(一) 請求原因1の各事実はいずれも認める。

(二) 請求原因2について

(1) (一)、(二)の各事実は認める。

(2) (三)の事実のうち、被告安永が昭和五一年一一月七日原告真美子の眼底検査をなし、異常なしと診断したことは認め、その余の事実は知らない。

(3) (四)及び(五)の各事実は知らない。

(三) 請求原因3(未熟児網膜症について)について

(1) 未熟児網膜症の原因

未熟児網膜症の原因については、結論が出ていないのが実情である。すなわち、生体に生じる疾患の原因は、すべて素因と誘因との競合によるが、未熟児網膜症については、現在、素因としては未熟性が、誘因としては酸素(大気中の酸素も含む。)、ヘモグロビン、貧血、輸血、光刺激、麻酔などがあげられている。

(2) 酸素管理

未熟児に対する酸素療法は、その呼吸機能の改善、更には生命の救済を目的とするが、酸素投与が過少で未熟児が一旦低酸素症に陥れば、無酸素性脳障害を惹起し、また肺硝子症等により生命を失う結果を招く反面、投与が過剰であると未熟児網膜症によって失明することもあり、生命か、脳か、眼かのいわば二律背反の関係にある。

保育器内酸素濃度を四〇パーセント以下に制限する酸素投与は、アメリカにおいて、未熟児網膜症の減少のかわりに、多くの未熟児死亡と脳障害を生んだものであり、あくまで未熟児網膜症防止法の一仮説にしか過ぎず、本件当時ないし現在において、酸素療法については、右二律背反の中で、投与方法、量、酸素濃度等に関し諸見解が対立し、定説は存在しない状況である。また、四〇パーセント以下に酸素を制限しても、未熟児網膜症の発症みられ、極小未熟児においては、未熟児網膜症の原因は未熟児性そのものにあり、酸素供給が決定的要因となるものではない。

更に、血中酸素濃度の測定については、血中酸素濃度が短時間の間に大きく変動するため、断続的測定では実態を正しく捉えることが困難であること等から、本件当時、一部の先進的医療機関で実験的に試みられていた以外には、一定水準の未熟児センターでも血中酸素濃度の頻回測定は普及化に至っておらず、未熟児の状態悪化時に測定することも一般化していなかった。

(四) 請求原因4の(一)について

(1) (1)の事実は認める。

(2) (2)ないし(5)は否認する。

(五) 請求原因5の事実は知らない。

2  被告安永

(一) 請求原因1の各事実は認める。

(二) 請求原因2について

(1) (一)及び(三)の各事実は認める。

(2) (四)及び(五)の事実は知らない。

(三) 請求原因3の(三)について

(1) 光凝固法・冷凍凝固法

原告真美子の失明が未熟児網膜症であるとすれば、その病型はⅡ型に属するものと思われるところ、Ⅱ型についての光凝固法、冷凍凝固法の効果については論争があり、その有効性を証明するために、昭和五二年度より厚生省未熟児網膜症研究班によって、現在研究がすすめられているが、症例が少ないこともあって、その判定は未だ今日に至るも出来ておらず、いかなる治療法がⅡ型に適切かの問題は、研究途上にあり、結論を出すに至っていないのが現状であるから、光凝固法、冷凍凝固法は未熟児網膜症の治療方法としては全く確立していないものである。

(2) (2)(眼底検査について)は全て争う。

未熟児の眼底検査は、非常に専門的技術及び経験を有するものであり、未熟児の眼底検査に熟練した専門的眼科医でなければ未熟児の眼底検査を的確に行うことは困難であった。

当時の講習会等による普及の状況をみると、厚生省特別研究班の研究報告後の昭和五〇年五月に新潟市において未熟児網膜症に関する眼科講習会が開かれ、その際、右研究班の主任植村恭夫がその研究結果を中心に診断・治療の問題点について講演をしている状況であったのであり、昭和五〇年当時、未熟児の眼底検査を的確に行うことのできる医療機関は、非常に少なかったし、被告安永が医師をしていた熊本県菊池市の眼科医の医療水準は、未だ未熟児の眼底検査を行える水準に達していなかった。

(四) 請求原因4の(二)について

(1) (1)の事実は否認する。

(2) (二)の各主張は争う。

前記(三)の(2)で述べた医療水準からみて、被告安永に対しては、不適当なものである。

(五) 請求原因5の事実は知らない。

3  被告国

(一) 請求原因1の各事実は認める。

(二) 請求原因2について

(1) (一)の事実のうち、原告真美子の出生時の体重が一六五〇グラムで、いわゆる未熟児であったことは認め、その余は知らない。

(2) (三)の事実は知らない。

(3) (四)及び(五)の各事実は認める。

(三) 請求原因3(未熟児網膜症について)について

未熟児網膜症の原因については、素因として未熟児で出生したこと、それによる網膜血管の未熟性が最大の素因であり、誘因として酸素(大気中の酸素も含む。)、ヘモグロビン、貧血、輸血、光刺激、麻酔などが考えられているが、現在においても、発生原因の研究はいまだ十分といえない点が多く、未熟児網膜症の実態の解明は尽くされていない。

そして、酸素投与と未熟児網膜症との因果関係も必ずしも十分に解明されておらず、また、未熟児網膜症の確実な予防法はなく、現在の最高水準の医療技術をもってしても、未熟児網膜症の発生を未然にかつ確実に防ぐことは不可能であるとされている。

(四) 請求原因4の(三)について

(1) (1)の事実のうち、原告らと被告国との間に、昭和五〇年一二月二六日、原告真美子の疾患(肺炎)を治療をなす旨の準委任契約が成立したことを認め、その余は否認する。

(2) (2)及び(3)は否認する。

原告真美子の失明の原因が未熟児網膜症によるとしても、その罹患は附属病院入院前であったとしか考えられないところ、肺炎の疑いありとしてその診断治療を求められた小児科医に、特段の兆候もないのに、専門外の未熟児網膜症についての予見を求めることはできない。

更に、原告真美子の未熟児網膜症は、附属病院入院前には既に有効な治療方法がない状態にまで進行していたものであって、治療義務はもとより、治療が可能であることを前提とする検査義務もなかった。

(五) 請求原因5は知らない。

第三  証拠<省略>

理由

第一被告国の本案前の主張について

被告国は、本件訴えの併合形態は、いわゆる主観的選択的併合であり、主観的予備的併合と同様に不適法である旨主張するので、まず、この点について判断するに、主観的予備的併合においては、両立しえない関係にある訴えの主観的併合に順位に付することによって副位的被告の訴訟上の地位の不安定、不利益を来たすため不適法とされるが、本件において被告国の地位の不安定を来たすいわれはないので右主張は採用することができない。

第二請求原因について

一請求原因1の各事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

二原告真美子が失明するに至った経緯

1  木場医院における保育状況

<書証番号略>によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和五〇年一〇月一七日

原告真美子は、午後九時二六分、木場医師が経営していた木場医院で出生したが、在胎週数三〇週、体重一六五〇グラムの未熟児であったため、直ちに保育器に収容され、器内温度三〇度、同湿度九〇パーセントに設定された。

出生後、一リットル/分の割合で酸素投与が開始されたが、午後九時五〇分、手足にチアノーゼが強く認められたため、二リットル/分に増量され、更に、午後一〇時から三リットル/分に増量された。

体温測定の記録はない。

(二) 昭和五〇年一〇月一八日

午前八時、原告真美子の一般状態が改善したことから、酸素投与量が、三リットル/分から1.5リットル/分に減量され、更に、午後一時三〇分からは一リットル/分に減量された。

保育器内温度三〇度、湿度九〇パーセント、原告真美子の体温(以下、体温という。)三五度ないし35.4度。

(三) 昭和五〇年一〇月一九日

午前零時四〇分、原告真美子の全身にチアノーゼが認められたことから、酸素投与量が一リットル/分から二リットル/分に増量され、更に、午前一時四三分からは、三リットル/分に増量された。午前四時五〇分、原告真美子の一般状態が改善したことから、酸素投与量が二リットル/分に減量された。

原告真美子に対して、午前九時三〇分に五ccの、午後零時三〇分に一五ccの、午後三時に一〇ccのミルクが直接哺乳されたが、午後三時二〇分ころ、原告真美子は少量吐乳した。

午後六時三〇分、酸素投与量は、二リットル/分から一リットル/分に減量され、五ccのミルクが直接哺乳されたが、原告真美子の哺乳力は弱であった。午後九時、三ccのミルクが直接哺乳された。

原告真美子に対し、時間は不明であるが、ビタミン等の入った五パーセントのブドウ糖二〇ccが一回皮内注射により投与された。

保育器内温度は三〇度、湿度九〇パーセント、体温は三五度ないし35.1度。

(四) 昭和五〇年一〇月二〇日

原告真美子に対し、午前零時三〇分に八ccの、午前三時三〇分に二ccの、午前六時三〇分に五ccのミルクがそれぞれ直接哺乳され、更に、午前九時三〇分に一五ccのミルクが直接哺乳されたが、原告真美子の哺乳力弱のため、経管カテーテルが挿管された。

午前一一時三〇分、原告真美子の一般状態良好のため、酸素投与量が一リットル/分から0.5リットル/分に減量された。

午後零時三〇分、原告真美子に対し一五ccの母乳をカテーテルより哺乳、原告真美子にチアノーゼが認められたため、酸素投与量を0.5リットル/分から一リットル/分に増量した。

午後三時三〇分、原告真美子に対し、経口で一ccの、経鼻で一四ccの母乳が哺乳されたが、午後四時四五分、原告真美子は一〇cc位嘔吐した。

午後六時三〇分、原告真美子に対し、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳されたが、午後六時四五分ころ、原告真美子は一〇cc位嘔吐した。

午後八時、酸素投与量が一リットル/分から0.5リットル/分に減量された。

午後九時三〇分、原告真美子に対し経口で三ccの、経鼻で一二ccの母乳が哺乳されたが、原告真美子にチアノーゼが認められたため、酸素投与量が0.5リットル/分から一リットル/分に増量された。

原告真美子に対し、時間は不明であるが、ビタミン等の入った五パーセントのブドウ糖二〇ccが一回皮内注射により投与された。

保育器内温度三〇度、湿度九〇パーセント、体温は三五度ないし35.1度。

(五) 昭和五〇年一〇月二一日

午前一時一五分及び同五時に、原告真美子に対し、経鼻でミルク一五ccがそれぞれ哺乳された。

午前八時一〇分、酸素投与量が一リットル/分から0.5リットル/分に減量され、原告真美子に対し、経鼻で母乳一五ccが哺乳された。

午前九時、停電のため、保温槽に熱湯を入れての保温が開始され、午前一一時には、器内温度三一度、同湿度一〇〇パーセントとなり、原告真美子に対し、経口で七ccの、経鼻で八ccの母乳が哺乳されたが、原告真美子は七cc位嘔吐した。

午後二時、原告真美子に対し、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳され、更に、同五時、経口で八ccの、経鼻で七ccの母乳が哺乳されたが、原告真美子は、一〇cc位嘔吐した。

午後八時、原告真美子に対し、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳され、更に、午後一一時、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳されたが、原告真美子の口、鼻、足にチアノーゼを認めたため、約二〇分間、酸素投与量が0.5リットル/分から一リットル/分に増量された。

原告真美子に対し、時間は不明であるが、ビタミン等の入った五パーセントのブドウ糖二〇ccが一回皮内注射により投与された。

保育器内温度二九ないし三一度、湿度九〇ないし一〇〇パーセント、体温三五度。

(六) 昭和五〇年一〇月二二日

午前二時、原告真美子に対し、経口で三ccの、経鼻で一〇ccのミルクが哺乳され、更に、午前五時、経鼻で一五ccのミルクが哺乳された。

午前六時一五分、原告真美子に対する酸素投与が中止された。

午前八時、原告真美子に対し、経口で二ccの、経鼻で一三ccの母乳が哺乳された。

午前九時一〇分、原告真美子は無呼吸状態となり、全身にチアノーゼが認められたため、同二五分まで原告真美子に対して、0.5リットル/分から一リットル/分の割合の酸素投与がなされた。

午前一一時、午後二時、原告真美子に対し、それぞれ、経口で一〇ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳された。

午後五時、原告真美子に対し、それぞれ、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳されたが、原告真美子は少量嘔吐した。

午後八時、原告真美子に対し、経口で一〇ccの、経鼻で五ccの母乳が哺乳された。

午後一一時一〇分、経口で五ccの、経鼻で一〇ccの母乳が哺乳された。

原告真美子に対し、時間は不明であるが、ビタミン等の入った五パーセントのブドウ糖二〇ccが一回皮内注射により投与された。

保育器内温度29.5ないし三〇度、湿度七〇ないし九〇パーセント、体温三五度。

(七) 昭和五〇年一〇月二三日

午前零時、原告真美子は無呼吸状態となり、手足にチアノーゼが認められたため、0.5リットル/分の割合の酸素投与が開始され、胸部マッサージで状態は回復したが、同一〇分、手足にチアノーゼがすこし認められたため、一リットル/分に増量され、同四五分、チアノーゼも認められなくなったため、0.5リットル/分に減量され、午前一時三〇分、酸素投与が中止された。

午前二時一〇分、原告真美子に対し、経口で五ccの、経鼻で一〇ccのミルクが哺乳された。

午前二時二〇分、原告真美子は、無呼吸状態となり、全身にうすくチアノーゼが認められたため、0.5リットル/分の割合の酸素投与が開始され、胸部マッサージで状態は回復し、午前三時、酸素投与は中止された。

午前五時四〇分、原告真美子に対し、経口で三ccの、経鼻で一〇ccのミルクが哺乳された。

午前八時四五分及び午前一一時四五分、原告真美子に対し、それぞれ経鼻で一五ccの母乳が哺乳された。

午後二時四五分、午後五時四五分、午後八時四五分、原告真美子に対し、それぞれ経口で五ccの、経鼻で一〇ccのミルクが哺乳された。

午後一一時三〇分、原告真美子に対し、経口で一五ccのミルクが哺乳された。

原告真美子に対し、時間は不明であるが、ビタミン等の入った五パーセントのブドウ糖二〇ccが一回皮内注射により投与された。

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度七五ないし八四パーセント、体温三五度。

(八) 昭和五〇年一〇月二四日

保育器内温度二九ないし30.5度、湿度六八ないし八〇パーセント、体温三五ないし35.1度、体重一五五四グラム。

哺乳、一回あたり一五ないし二〇ccで合計一三〇cc(経口三〇cc、経鼻一〇〇cc)。

(九) 昭和五〇年一〇月二五日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度七二ないし八三パーセント、体温三五ないし35.1度。

哺乳、一回あたり二〇ないし二三ccで合計一六三cc(経口二〇cc、経鼻一四三cc)。

(一〇) 昭和五〇年一〇月二六日

保育器内温度29.5ないし三一度、湿度七二ないし八五パーセント、体温三五ないし35.1度。

哺乳、一回あたり二〇ないし二五ccで合計一六七cc(経口一二cc、経鼻一五五cc)。

(一一) 昭和五〇年一〇月二七日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度七五ないし八八パーセント、体温三五度、体重一五八〇グラム。

哺乳、一回あたり二〇ないし三〇ccで合計一六〇cc(経口五〇cc、経鼻一一〇cc)。

(一二) 昭和五〇年一〇月二八日

保育器内温度二九ないし30.2度、湿度八四ないし八八パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり一五ないし二五ccで合計一九〇cc(経口六二cc、経鼻一二八cc)。

(一三) 昭和五〇年一〇月二九日

保育器内温度29.5ないし三〇度、湿度八四ないし九〇パーセント、体温三五ないし35.1度。体重一五八〇グラム。

哺乳、一回あたり二〇ないし三〇ccで合計二〇〇cc(経口八三cc、経鼻一一七cc)。

(一四) 昭和五〇年一〇月三〇日

保育器内温度三〇度、湿度八〇ないし九〇パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり二五ccで合計二〇〇cc(経口七三cc、経鼻一二七cc)。

(一五) 昭和五〇年一〇月三一日

保育器内温度29.5ないし三〇度、湿度七二ないし八四パーセント、体温三五度、体重一五七〇グラム。

哺乳、一回あたり二五ないし三〇ccで合計二二〇cc(経口九八cc、経鼻一二二cc)。

(一六) 昭和五〇年一一月一日

保育器内温度二九ないし29.5度(39.0、39.5と記載されている部分は誤記と認める。)、湿度八〇ないし八八パーセント、体温三五ないし35.1度。

哺乳、一回あたり二六ないし三〇ccで合計二〇六cc(経口九一cc、経鼻一一五cc)。

(一七) 昭和五〇年一一月二日

保育器内温度29.5度、湿度八〇ないし九二パーセント、体温三五ないし35.1度。

哺乳、一回あたり二五ないし三五ccで合計二三六cc(経口一五六cc、経鼻八〇cc)。

(一八) 昭和五〇年一一月三日

保育器内温度二九ないし29.5度、湿度九〇ないし九五パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり一二ないし三〇ccで合計一九八cc(経口一七八cc、経鼻二〇cc)、鼻腔カテーテルを外す。

(一九) 昭和五〇年一一月四日

保育器内温度29.5ないし三〇度、湿度七五ないし九二パーセント、体温三五度、体重一五七〇グラム。

哺乳、一回あたり二五ないし四〇ccで合計二二三cc(経口一三八cc、経鼻八五cc)、鼻腔カテーテル再挿入。

(二〇) 昭和五〇年一一月五日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度八五ないし九五パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり三五ないし四〇ccで合計二九〇cc(経口一三五cc、経鼻一五五cc)。

(二一) 昭和五〇年一一月六日

保育器内温度29.5ないし三一度、湿度八五ないし九六パーセント、体温三五ないし35.1度、体重一六〇〇グラム。

哺乳、一回あたり三〇ないし四〇ccで合計三〇三cc(経口一二〇cc、経鼻一八三cc)。

(二二) 昭和五〇年一一月七日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度八〇ないし九六パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり三五ないし四〇ccで合計三一一cc(経口一五五cc、経鼻一五六cc)。

被告安永、原告真美子の眼底検査を実施し、異常なしと診断。

(二三) 昭和五〇年一一月八日

保育器内温度二九ないし30.5度、湿度八〇ないし九六パーセント、体温三五度。

哺乳、一回あたり三〇ないし四〇ccで合計二九〇cc(経口一〇〇cc、経鼻一九〇cc)。

(二四) 昭和五〇年一一月九日

保育器内温度二九ないし30.5度、湿度九二ないし一〇〇パーセント、体温三五度、体重一六六〇グラム。

哺乳、一回あたり三五ないし四〇ccで合計二七五cc(経口一三〇cc、経鼻一四五cc)。

(二五) 昭和五〇年一一月一〇日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度八八ないし九二パーセント、体温三五ないし35.2度。

哺乳、一回あたり三〇ないし四〇ccで合計二九五cc(経口二一五cc、経鼻八〇cc)。

(二六) 昭和五〇年一一月一一日

保育器内温度三〇ないし30.5度、湿度七二ないし九六パーセント、体温三五ないし35.2度。体重一七〇〇グラム。

哺乳、一回あたり三〇ないし四〇ccで合計三四五cc(経口二四〇cc、経鼻一〇五cc)。

(二七) 昭和五〇年一一月一二日

保育器内温度29.5ないし三一度、湿度七一ないし八〇パーセント、体温三五ないし35.1度。

哺乳、一回あたり三五ないし四五ccで合計三一〇cc(経口)、カテーテル抜去。

(二八) 昭和五〇年一一月一三日

保育器内温度三〇ないし30.5度、湿度八〇パーセント、体温三五ないし35.1度、体重一七一〇グラム。

哺乳、一回あたり三五ないし五五ccで合計三一五cc(経口)。

(二九) 昭和五〇年一一月一四日

保育器内温度29.5ないし三一度。湿度七八ないし九〇パーセント、体温35.1ないし35.4度。

哺乳、一回あたり三〇ないし六〇ccで合計三四〇cc(経口)。

(三〇) 昭和五〇年一一月一五日

保育器内温度二九ないし29.5度、湿度八〇ないし八六パーセント、体温35.3ないし三六度、体重一七九〇グラム。

哺乳、一回あたり二五ないし五五ccで合計三五三cc(経口)。

(三一) 昭和五〇年一一月一六日

保育器内温度二九ないし29.5度、湿度七二ないし八八パーセント、体温三五ないし三六度。

哺乳、一回あたり二〇ないし六〇ccで合計三二五cc(経口)。

(三二) 昭和五〇年一一月一七日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度八〇ないし八五パーセント、体温35.2ないし35.6度、体重一八四〇グラム。

哺乳、一回あたり二〇ないし六〇ccで合計四〇五cc(経口)。

(三三) 昭和五〇年一一月一八日

保育器内温度29.5ないし三〇度、湿度七五ないし八五パーセント、体温三五ないし35.4度。

哺乳、一回あたり四〇ないし六〇ccで合計三五五cc(経口)。

(三四) 昭和五〇年一一月一九日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度七五ないし八二パーセント、体温35.1ないし35.4度、体重一九〇〇グラム。

哺乳、一回あたり四〇ないし六〇ccで合計三八七cc(経口)。

(三五) 昭和五〇年一一月二〇日

保育器内温度二九ないし三〇度、湿度七六ないし八〇パーセント、体温35.3ないし35.5度。

哺乳、一回あたり三五ないし六〇ccで合計三七〇cc(経口)。

(三六) 昭和五〇年一一月二一日

保育器内温度三〇度、湿度七〇ないし七六パーセント、体温三五ないし35.8度、体重二〇〇〇グラム。

哺乳、一回あたり五〇ないし七〇ccで合計四九〇cc(経口)。

(三七) 昭和五〇年一一月二二日

保育器内温度28.5ないし三〇度、湿度七五ないし九二パーセント、体温35.4ないし35.6度。

哺乳、一回あたり五三ないし七五ccで合計五〇六cc(経口)。

(三八) 昭和五〇年一一月二三日

保育器内温度29.5ないし30.5度、湿度七〇ないし八〇パーセント、体温35.6ないし36.3度、体重二〇七〇グラム。

哺乳、一回あたり五〇ないし九〇ccで合計四六五cc(経口)。

(三九) 昭和五〇年一一月二四日

保育器内温度二九ないし三一度、湿度七〇ないし七六パーセント、体温35.8ないし37.5度。

哺乳、一回あたり五〇ないし九〇ccで合計四八五cc(経口)。

(四〇) 昭和五〇年一一月二五日

保育器内温度28.5ないし三〇度、湿度七五ないし八二パーセント、体温35.8ないし三六度。

哺乳、一回あたり四五ないし九〇ccで合計五三〇cc(経口)。

(四一) 昭和五〇年一一月二六日

保育器内温度三〇ないし三一度、湿度六八ないし七八パーセント、体温35.7ないし36.4度、体重二一五〇グラム。

哺乳、一回あたり四五ないし九〇ccで合計五二〇cc(経口)。

(四二) 昭和五〇年一一月二七日

保育器から解放。

体温三六ないし36.8度、体重二一八〇グラム。

哺乳、一回あたり六〇ないし九〇ccで合計四七〇cc(経口)。

(四三) 昭和五〇年一一月二八日

体重二三七〇グラム。

木場医院を退院。

2  木場医院退院後の状況

<書証番号略>、証人永田憲行及び同池間昌陸の各証言並びに被告安永正民本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和五〇年一二月三日

原告真美子は、被告安永による眼底検査を受け、被告安永は異常なしと診断。

(二) 昭和五〇年一二月二六日

原告真美子は、肺炎の疑いがあるとして訴外隈部一医師の紹介により、附属病院において、当直医であった訴外三池某の診察を受け、肺炎等と診断されて、入院。

輸液及び抗生剤の投与とともに、口、鼻周囲、爪にチアノーゼが認められたこと等から午後一〇時酸素テント内に収容され、二リットル/分の割合による酸素投与が開始され、酸素投与は同月二九日午前一一時四〇分まで継続されたが、テント内の酸素濃度は三〇ないし四〇パーセントであった。

(三) 昭和五〇年一二月二七日

時折口鼻にチアノーゼが出現、軽い鼻翼呼吸も認められる。

体温36.2ないし三七度、脈拍数一三六ないし一六〇、呼吸数五八ないし七二。

永田医師が主治医となる。

(四) 昭和五〇年一二月二八日

喘鳴が持続。

体温36.1ないし36.6度、脈拍数一四四ないし一五六、呼吸数五八ないし七二。

(五) 昭和五〇年一二月二九日

酸素投与を中止してもチアノーゼが出現することがなくなる。

体温36.3ないし36.5度、脈拍数一四四ないし一五〇、呼吸数四八ないし六〇。

(六) 昭和五一年一月一〇日

原告真美子、附属病院を退院。

(七) 昭和五一年一月一四日

原告真美子は、附属病院の循環再来(心臓病の患者を集中的に治療あるいは診察する外来)において、訴外石橋某より診察を受けた。

(八) 昭和五一年二月一八日

原告真美子は、附属病院の循環再来において、訴外石橋某より診察を受けるとともに、永田医師より眼科受診の紹介を受けた。

(九) 昭和五一年三月一一日

原告真美子は、附属病院において、訴外池間昌陸医師(以下、池間医師という。)の診察を受け、眼底検査の結果、両眼とも網膜全剥離の状態で、白色瞳孔を呈しており、水晶体のすぐ後ろまで剥離した網膜が認められた。

三未熟児網膜症について

<書証番号略>によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

1  未熟児網膜症に関する研究の歴史等

(一) まず、未熟児という用語については、世界的に統一された定義は存しないが、我が国の小児科領域の慣用語によれば、一般に生下時体重二五〇〇グラム未満の児を未熟児といい、そのうち一五〇〇グラム未満(在胎週数はほぼ三二週以下。)の児を極小未熟児、一〇〇〇グラム未満(在胎週数はほぼ二八週以下。)の児を超未熟児という。

(二) 一九四二年、ボストンの医師テリーは水晶体後部に灰白色の膜状物が形成されて失明している未熟児を報告し、一九四四年、これを水晶体後部線維増殖症(以下、RLFという。)と名付けた。当時、これは水晶体血管を含む胎生組織の遺残または過形成によるもので、眼の先天性の異常であろうと考えられた。

一九四九年、オーエンスらによって、RLFが未熟児に主としておこる後天性の疾患であることが主張されて以来、その臨床的、病理学的研究の進歩に伴い、リースらによって、類似した臨床所見を呈する遺残硝子体増殖、網膜形成不全などの先天異常と区別されるに至った。

一九五一年、ヒースによって、未熟児網膜症なる名称が適切であるとされ、その後、外国の文献においては、未熟児網膜症とRLFの両者の名称が使用されているが、我が国では、未熟児網膜症という名称が一般に用いられているので、以下、未熟児網膜症と統一することとする。

(三) 未熟児網膜症は、一九四〇年代後半より一九五〇年代前半にかけて未熟児保育の先進した英米において多発し、その原因が追及され、感染、内分泌、鉄剤、ビタミンなど種々の原因があげられたが、酸素以外の原因は全て否定され、一九五四年、アメリカ眼科耳鼻咽喉科学会におけるシンポジウムにおいて、次の勧告が出され、それ以来、酸素療法は厳重に制限され、未熟児網膜症の発生頻度は劇的に減少した。その勧告とは、①未熟児に対する常例的酸素投与の中止、②チアノーゼあるいは呼吸障害の兆候のあるときにのみ酸素を使用する、③呼吸障害がとれたら直ちに酸素療法を中止する、というものである。

一九六〇年、アベリー、オッペンハイムらは、一九四四年〜四八年の酸素を自由に使用していた期間と、酸素を厳しく制限するようになった一九五四年以降の特発性呼吸窮迫症候群(以下、IRDSという。)による死亡率を比較検討し、後者にその死亡率の増加したことを報告した。これらの報告に基づき、IRDSには高濃度の酸素療法が行われるようになり、一九六七年、アメリカでは、国立失明予防協会主催の未熟児に対する酸素療法を検討する会議において、①酸素投与の基準、②酸素療法を受けた乳児の臨床兆候、動脈血PO2値の測定、眼底所見との関連、精神運動発達に関する情報収集の必要性、③環境酸素濃度監視装置の改善の必要性などの問題点が取り上げられた。

(四) 我が国においては、英米において未熟児網膜症が多発した一九四〇〜一九五〇年当時は、未だ未熟児の保育は普及しておらず、一九五五年以降の酸素療法の制限以降に発達普及したため、未熟児網膜症に対する関心は薄かったが、植村恭夫は、昭和三九年度に弱視についての研究をなした際に、弱視として来院する小児の中に、未熟児網膜症の瘢痕期症状に類似した眼底所見を示すものが多いことに気付き、これを過去まで遡って追求したところ、その大部分が未熟児であることが分かり、昭和四〇年に国立小児病院の発足に伴い同病院未熟児室において定期的眼底検査を施行し、その一六パーセントに活動期症例の存在することを明らかにし、未熟児網膜症が過去の疾患ではなく、眼科的管理の必要性を強調した。以来、次第に関心が高まり、永田誠、馬嶋昭生らによって次々と未熟児網膜症に関する研究が発表されるに至った。

(五) 永田誠は、昭和四三年、世界に先駆けて光凝固法による治療を試み、その成功例を報告し、これに続いて、昭和四七年、山下由紀子らは、冷凍凝固法を未熟児網膜症に応用し、大島健司らによる多くの追試の成績が発表されている。

この日本の光凝固・冷凍凝固の報告に対し、昭和四九年、ムーシンは未熟児網膜症は予防すべきものであって、治療すべきものではないという見解を発表するなど、光凝固・冷凍凝固の有効性については、未熟児網膜症が自然治癒率の高い疾患であり、不必要な症例について光凝固・冷凍凝固を実施するとかえって瘢痕をのこすこと、両眼に実施した報告例では、自然治癒したものか、光凝固・冷凍凝固の施行によって進行を食い止めることができたのかの区別ができないことから否定的な見解もある。

2  未熟児網膜症の発生原因及び発生機序

(一) 未熟児網膜症は、発展途上の網膜血管に起こる非炎症性の血管病変であり、その大部分は未熟児におこるが、まれには成熟児にも見られる。また、その大部分は酸素療法との関連でおこるが、酸素を使用しない例にもおこる。

(二) 未熟児網膜症の臨床症状については、後に詳しく述べるが、概略的には、原発性変化は血管の収縮―閉塞であり、続発性の変化は血管増殖性変化であり、更に進行すれば、網膜の牽引、牽引性剥離に至る。

(三) 未熟児の網膜と酸素との関係

(1) ヒト網膜は、胎生四か月までは無血管であり、四か月以降に網膜内に血管が発達し、胎生六〜七か月において、血管発達は最も活発であり、八か月では網膜鼻側の血管は周辺まで発達しているが、耳側では鋸歯状縁までは達していない。したがって、未熟児では在胎周数の短いものほど網膜血管の未熟性は強く、鋸歯状縁との間に無血管帯が広いものであり、在胎週数二八週以前の早産児では、網膜鼻側の血管も未発達である。

(2) 網膜血管に対する酸素の影響は、血管の成熟度により異なり、成熟血管は酸素投与により収縮しても、投与中止によりもとにかえる可逆性のものであるのに対し、未熟な血管ほど酸素投与により強い収縮がおこり、血管閉塞をおこし不可逆性になる。

(3) 動物実験によれば、血管の収縮―閉塞、血管増殖性変化については認められたが、網膜の牽引、牽引性剥離に至る変化は認められていない。

(四) 以上の点を総合すると、未熟児網膜症の発生原因及び発生機序は未だ完全に解明されているということはできないが、少なくとも、要因として、網膜の未熟性があり、誘因として酸素が作用していることについては異論がないと考えられる。

そして、多くの医学書において、保育器内酸素濃度は、四〇パーセント以下に抑えるようにすべきであるとされているが、そのように制限した場合であっても、未熟児網膜症が発症する例も報告されていることから、どのような酸素管理をなせば未熟児網膜症の発症を確実に防止できるかについてはなお明らかになっていないといわざるをえない。

3  未熟児網膜症の臨床経過

(一) 未熟児網膜症の臨床過程等については、わが国では一般にオーエンスの分類法が用いられていたが、眼底検査技術の発達により眼底病変の症状進行の状態をより正確に把握できるようになったこと、未熟児網膜症の治療法として光凝固・冷凍凝固法が実施されるようになったことに伴い、その適応、限界を定めるうえで眼科医間でその病期が必ずしも一致していなかったこと、未熟児網膜症研究の進展につれて従来の分類法に当てはまらない経過を辿って剥離に至る型の存在などが明らかになったことから、未熟児網膜症の診断基準を統一することが要請され、昭和四九年に、慶応大学医学部眼科教授植村恭夫を主任研究者、天理病院眼科部長永田誠、名古屋市立大学眼科教授馬嶋昭生らを分担研究者とする研究班により「未熟児網膜症の診断及び治療基準に関する研究」が行われ、昭和五〇年右研究班により、次の内容の報告(以下、昭和五〇年厚生省研究班報告という。)がなされ、同年八月ころ右報告書の内容を記載した学会誌が刊行された。

(1) 活動期の診断基準及び臨床経過分類について

① 検査の基準

両眼立体倒像鏡またはボンノスコープを用い、散瞳下において検査した場合のものであり、depressorは用いない場合とする。

② 臨床経過

予後の点により、未熟児網膜症をⅠ型とⅡ型に大別する。

Ⅰ型は、主として、耳側周辺に、増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のものである。

Ⅱ型は、主とて極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、血管新生が後極より耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、ヘイジイ(hazy)のためにこの無血管帯が不明瞭なことも多い。後極部の血管の迂曲、怒張も初期よりみられる。Ⅰ型と異なり、段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い比較的速い経過で網膜剥離を起こすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型のものをいう。

③ Ⅰ型の臨床経過分類

1期(血管新生期)、周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期)、周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期)、硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。この3期は、前期、中期、後期に分ける意見がある。

4期(網膜剥離期)、明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全周剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの時期に含まれる。

④ Ⅱ型の臨床経過分類

Ⅱ型は、主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に発症し、初期症状は、血管新生が後極よりおこり、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管帯が広く、その領域は、ヘイジイ・メディア(hazymedia)で隠されていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり、滲出性変化も強くおこり、Ⅰ型のごとき段階的経過をとることも少なく、比較的急速に網膜剥離にと進む。

⑤ 混合型

極めて少数ではあるが、Ⅰ型とⅡ型の混合型ともいえる型がある。

⑥ 自然緩解

自然緩解は、Ⅰ型の場合、2期までで停止した場合には、視力に影響を及ぼすような不可逆性変化を残すことはない。3期においても自然緩解はおこり、牽引乳頭に至らずに治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し弱視となるもの、頻度は少ないが剥離をおこし失明に至るものがある。

(2) 瘢痕期の診断基準と程度分類について

① 未熟児網膜症の瘢痕病変は、検眼鏡的にも、病理学的にも、特殊性を欠いており、活動期よりの経過をみていない場合には、鑑別すべき多くの眼疾があり、未熟児網膜症による瘢痕と確定診断を下すことは甚だ困難である。例えば、白色瞳孔を示すに至ったものでは、網膜芽細胞腫、第一次硝子体過形成遺残、網膜異形成症候群、コーツ病などとの鑑別を必要とする。鑑別には、出生時体重、在胎週数、酸素療法などの既往は、参考とはなるが、確診を下すことは難しい。牽引乳頭、網膜襞形成も先天性鎌状剥離や胎生期あるいは周生期における種々の眼疾によってもたらされることが多く、白色瞳孔以上に、未熟児網膜症の瘢痕と診断することは困難といえる。他方、活動期よりその経過を観察し、瘢痕を残した症例については誤りはない。

したがって、自ら活動期の経過を観察していたものか、あるいは他の眼科医が活動期病変を診ていたことが明らかな症例については、未熟児網膜症の瘢痕と診断しうるが、そうでなく、はじめて外来を訪れたような症例については、「疑い」の域にとどまらざるを得ない。

② 瘢痕期の分類

1度、眼底後極部には、著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常なものが大部分である。

2度、牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は、視力は良好であるが、黄斑部に病変が及んでいる場合は、種々の程度の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

3度、網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとりこまれ、襞を形成し周辺部の白色組織塊につながる。視力は0.1以下で、弱視または盲教育の対象となる。

4度、水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。

③ 瘢痕に関する判断基準は、分類方においては、自然経過例においても意見の一致をみたが、瘢痕期の判定の時期、方法、晩期合併症との関連については、なお、今後の検討を必要とする。

④ 検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎週数三四周以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三カ月以降は、隔週または一カ月に一回の頻度で六カ月迄行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に、1〜3度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるフォローアップが必要である。

(3) 未熟児網膜症の治療基準

未熟児網膜症の治療は本疾患による視覚障害の発生を可及的に防止することを目的とするが、その治療には未解決な問題点がなお多く残されており、現段階で決定的な治療基準を示すことは極めて困難である。しかし、進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固あるいは冷凍凝固によって治癒しうることが多くの研究者の経験から認められているので、未熟児網膜症研究班において検討した本症の臨床経過の分類基準に基づき各病型別に現時点における治療の一応の基準を提出することとする。

① 治療の適応

Ⅰ型においては、その臨床経過が比較的緩徐であり、発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行するために、治療の適期判定や治療の施行そのものにも困難を伴うことが多い。

したがって、Ⅰ型においては治療の不要な症例に行き過ぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれる。

② 治療時期

Ⅰ型の網膜症は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題となるが、但し、3期に入ったものでも自然治癒する可能性は少なくないので進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。

Ⅱ型の網膜症は、血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので、Ⅰ型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型の網膜症は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件をそなえた例では綿密な眼底検査を可及的早期より行うことが望ましく、無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は直ちに治療を行うべきである。

③ 治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。

光凝固は、Ⅰ型においては無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部付近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれにより周辺部の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

Ⅱ型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

冷凍凝固も凝固部位は光凝固に準ずる。

右の治療基準は、現時点における未熟児網膜症研究班員の平均的治療方針であるが、これらの治療方針が真に妥当なものか否かについて更に今後の研究をまって検討する必要がある。

(二) 昭和五〇年九月六日、厚生省研究班の一員であった国立小児病院眼科医長森実秀子によって、Ⅱ型の初期像及び臨床経過についての報告がなされ、更に、昭和五八年、植村恭夫らによって、「未熟児網膜症の分類(厚生省未熟児網膜症診断基準、昭和四九年度報告)の再検討について」という報告が発表され、昭和五〇年厚生省研究班報告の「活動期の診断基準及び臨床経過分類について」の部分が、次のとおり改正された。

(1) 検査の基準

両眼立体倒像鏡またはボンノスコープを用い、散瞳下において検査した場合のものである。(…「り、depressorは用いない場合とする。」を削除)

(2) Ⅰ型の1期(網膜内血管新生期)

周辺ことに耳側周辺部に、発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などか出現し、それより周辺部には明らかな無血管領域が存在する。後極部には変化が認められない。

(3) 1型の2期(境界線形成期)

末尾の「蛇行怒張を認める。」を「蛇行怒張を認めることがある。」に。

(4) Ⅰ型の3期(硝子体内滲出と増殖期)

硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。

この3期は、初期、中期、後期の3段階に分ける。初期はごくわずかな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に、牽引性変化が加わった場合とする。

(5) Ⅰ型の4期はこれを2期に分け、4期・5期とする。

① 4期(部分的網膜剥離期)

3期の所見に加え、部分的網膜剥離の出現を認めた場合。

② 5期(全網膜剥離期)

網膜が全域にわたって完全に剥離した場合。

(6) Ⅱ型

Ⅱ型は前述したごとく、主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、赤道部より後極側の領域で、全周にわたり未発達の血管先端領域に、異常吻合及び走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに、網膜血管の蛇行怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型のごとき緩徐な段階的経過をとることなく、急速に網膜剥離へと進む。

(7) 極めて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の中間型がある。

(8) Ⅰ型では、1期の網膜内血管新生が、生理的な範疇に入るものか、病的かの区別は、よほど本症に経験があるものでないとつきにくい。したがって、発症率、自然治癒率を論ずる場合には、2期以降の症例について行うこととする。

四原告真美子の失明の原因等

1 前記二の2の(九)で認定したとおり、昭和五一年三月一一日原告真美子が、附属病院の池間医師の診察を受けた際には、白色瞳孔を呈する状態であったところ、前記三の3の(一)の昭和五〇年厚生省研究班報告によれば、右の状態は網膜芽細胞腫等との鑑別を必要とするが、鑑別には、出生時体重、在胎週数、酸素療法などの既往は参考とはなるが、確診を下すことは難しいとされている。

医学上の診断としては、右は正論であると思われるが、未熟児網膜症によっても白色瞳孔が生じること、未熟児網膜症の原因には、網膜の未熟性があり、未熟児では網膜の発達が未熟であること、酸素が誘因として働くことは否定できないことからして、未熟児で酸素療法を受けた既往がある場合には、白色瞳孔が他の病気によるものであることが明らかな場合を除いて、未熟児網膜症によるものであると推認するのが相当である。

原告真美子については、前記二で認定したとおり、未熟児で酸素療法を受けた者であるから、原告真美子の失明の原因は未熟児網膜症によるものであると認めることができる。

2 そこで、原告真美子の罹患した未熟児網膜症がⅠ型であるか、Ⅱ型であるか判断するに、前記三の3の(一)で認定したように、Ⅱ型は主として極小低出生体重児にみられるものであるところ、原告真美子は、出生時体重一六五〇グラムであったのであり、Ⅱ型の観察所見を認めるに足りる証拠のない本件においては、Ⅰ型であると推認するが相当である。

3  次に、原告真美子の未熟児網膜症がいつごろ発症したものであるかを検討する。

(一) <書証番号略>によれば、名古屋市立大学教授馬嶋昭生は、1期及び2期(昭和五〇年厚生省研究班報告によるⅠ型の分類による)発生時の体重、生後発生時及び発生時の修正在胎週数と未熟児網膜症の進行との関係について、次のとおり報告している。

(1) 1期及び2期発生時の体重と進行

① 3期中期(馬嶋はⅠ型の分類の3期を初期・中期・晩期の3期に分け、中期を間葉系細胞の増殖を伴った血管新生がほぼ境界線の全域に広がり、境界線はある程度の幅をもった境界領域という状態に進行した場合というとされる。)まで進行したものは、すべて体重一九〇〇グラム未満で1期が発生している。したがって、一九〇〇グラム以上で1期が発生した場合には、3期中期にまでは進行していない。

② 体重二四〇〇グラム以上で1期が発生したものは2期で進行が止まっている。

③ 体重二八〇〇グラム以上で1期が発生したものは1期で進行が止まっている。

④ 体重三五〇〇グラム以上になって発生した例はない。

(2) 1期及び2期の生後発生時と進行

① 生後八週以後に、1期が発生したものは3期中期までは進行しない。

② 生後九週以後に、1期か発生したものは2期で進行が止まっている。

③ 生後一二週以後に、1期が発生したものは1期で進行が止まっている。

(3) 1期及び2期発生の修正在胎週数と進行

① 修正在胎週数が三六週以後になって1期が発生したものは3期中期までは進行しない。

② 修正在胎週数が四二週以後になって1期が発生したものは2期で止まっている。

③ 修正在胎週数が四六週以後になって1期が発生したものは1期で止まっている。

④ 修正在胎週数が三八週以後になって2期になったものは3期中期までは進行しない。

⑤ 修正在胎週数が四一週以後になって2期になったものは2期で止まっている。

⑥ 修正在胎週数が四七週以後に2期は発生していない。

(二) 前記二で認定したとおり、原告真美子が体重一九〇〇グラムとなったのは、昭和五〇年一一月一九日ころであり、生後八週目に入ったのは、同年一二月五日であり、修正在胎週数が三六週となったのは、同年一一月二二日ころであることが認められる。

(三) (一)及び(二)を総合すると、原告真美子の未熟児網膜症の観察所見の存しない本件においては、被告安永が眼底検査を二回目になした昭和五〇年一二月三日までには、原告真美子に未熟児網膜症が発症していたと推認するのが相当である。

被告安永は、原告真美子に対する二回目の眼底検査の際にも異常はなかった旨供述するが、証人池間昌陸の証言によれば、被告安永が原告真美子の眼底検査の際になした方法では照度が充分にとれず、周辺部が見えないことが認められることに照らすと、被告安永の異常はなかったとする診断については大いに疑問があり、被告安永の右供述は採用することができない。

4  そして、原告真美子が網膜剥離状態となった時期について判断するに、原告隈部凉子本人尋問(第一回)の結果によれば、附属病院に入院する以前に、日にちは記憶がないが、原告真美子の眼が光ったように見えたことが認められ、更に証人池間昌陸の証言によれば、眼が光ったように見えたということは白色瞳孔である可能性が高いと認められることを併せ考えると、原告真美子は附属病院に入院する以前には、すでに網膜剥離の状態となっていた可能性が高いというべきである。

五請求原因4(被告らの責任)について

1  木場医師の責任

(一) 原告らと木場医師との間に、原告真美子出生日において、未熟児である原告真美子の身体に障害を与えないよう木場医師が適切な看護、保育、治療の事務処理を行う旨の準委任契約が成立したことについては、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、原告真美子が未熟児網膜症に罹患したことについて、木場医師に注意義務違反があったか否かについて判断する。

(1)  体温管理義務違反の有無

<書証番号略>によれば、保育器内温度については、体重一四〇〇〜二〇〇〇グラムの未熟児においては、三〇度が目安とされていることが認められるところ、前記二で認定した木場医院における保育状況によれば、原告真美子にチアノーゼが認められ、酸素投与が行われた昭和五〇年一〇月一七日から同月二三日までの間においては、保育器内は温度三〇度、湿度九〇パーセントに設定されて、それ以降も多少の変動はあるものの、温度三〇度、湿度九〇パーセントに保たれていたことが認められる。<書証番号略>によれば、新生児突発性呼吸障害の生じている場合には、体重一五〇一〜二五〇〇グラムの未熟児においては、その治療のために三三〜三四度に設定しているとの報告もあるが、木場医師の措置が医学上の常識を逸脱しているとまでいうことはできず、木場医師に体温管理上の義務違反があったと認めることはできない。

(2)  栄養管理義務違反の有無

前記二で認定した木場医院における保育状況によれば、原告真美子に対しては酸素投与中である昭和五〇年一〇月一八日から、直接哺乳により、開始されているが、翌一九日からは、哺乳力の低下、嘔吐等のため、経管カテーテルが鼻に挿管され、同年一一月一二日まで、これによる哺乳が単独あるいは直接哺乳と並行してなされ、次第に増量が図られていたことが認められる。

原告らは、とくに直接哺乳の時期及び増量の仕方を問題とするが、原告真美子は極小未熟児でなかったこと、前記二で認定した木場医院における保育状況によれば、直接哺乳が開始された際の酸素投与流量は0.5リットル/分と少なくなっており、原告真美子の一般状況は相当改善されていたことが認められるのであって、これらによれば、木場医師の措置が医学上の常識を逸脱しているとまでいうことはできず、木場医師に栄養管理上の義務違反があったと認めることはできない。

(3)  呼吸管理・酸素管理上の義務違反の有無

前記二で認定した木場医院における保育状況によれば、原告真美子に対しては昭和五〇年一〇月一七日から同月二三日までの間、一時の中断を除き流量量で0.5〜3.0リットル/分の酸素が投与されたこと、保育器内酸素濃度も血液中の酸素分圧も全く測定されていなかったことが認められる。

<書証番号略>によれば、本件当時においては、未熟児に対して、保育器内で酸素投与する場合には、未熟児網膜症の発症の危険があることから、酸素投与は必要な時だけにかぎるべきであり、酸素投与量は流量量ではなく、保育器内酸素濃度を一日数回測定して、酸素濃度が四〇パーセント以下になるようにすべきであるとされていたことが認められる。右に照らすと、木場医院における酸素投与以外で原告真美子が未熟児網膜症に罹患したことについての主張立証のない本件においては、前記三の2で述べたように、今日においても、保育器内酸素濃度を何パーセント以下に抑えれば未熟児網膜症の発症を予防できるかについての具体的な基準はないとはいうものの、一週間にもわたってかなりの量の酸素を投与したにもかかわらず、全く保育器内酸素濃度を測定しなかった木場医師には酸素管理上の注意義務違反があったというべきであって、木場医師は、右注意義務に違反して原告真美子を未熟児網膜症に罹患させたものと認められる。

2  被告安永の責任

(一) 前記二で認定したとおり、被告安永は、昭和五〇年一一月七日及び同年一二月三日に、原告真美子の眼底検査を行ったのであり、昭和五〇年一一月七日において、原告らと被告安永との間に原告真美子が未熟児網膜症に罹患していないか否かについて適切な眼底検査を行う旨の準委任契約が成立したと認めることができる。

なお、原告らは、原告らと被告安永との間で、原告真美子が未熟児網膜症に罹患しないように眼底検査等を行う旨の準委任契約が成立したと主張しているが、弁論の全趣旨に照らすと、右主張は前記の内容の準委任契約の成立の主張であると認めることができる。

(二)  眼底検査義務違反の有無

(1)  まず、被告安永が原告真美子の眼底検査をなした昭和五〇年一一月〜一二月には光凝固法及び冷凍凝固法が未熟児網膜症の治療方法として確立していたか否かについて検討する。

前記三で認定した事実によれば、光凝固・冷凍凝固法については、その有効性を疑問視する見解があることは事実であるが、わが国においては、永田誠らが実施を開始して以来、多くの医師らによって行われ、その成功例が報告されていること、昭和五〇年厚生省研究班報告がなされ、そこでは光凝固法及び冷凍凝固法が未熟児網膜症の治療方法として有効であることを認め、それまで様々に考えられていたその適応の時期についての指針を示し、それは現在においても否定されていないことが認められる。

これらの事実によれば、光凝固法及び冷凍凝固法が未熟児網膜症の治療法として確立されたのは、昭和五〇年厚生省研究班報告によってであり、右報告が学会誌に発表された昭和五〇年八月であることからして、被告安永が原告真美子の眼底検査を行った当時においては、光凝固法及び冷凍凝固法は既に確立していたと認めることができる。

更に、証人池間昌陸の証言によれば、本件当時、熊本大学医学部においても実施されていことが認められる。

(2)  そこで、被告安永の眼底検査上の注意義務の内容であるが、前記三の3の(一)で認定した昭和五〇年厚生省研究班報告によれば、検査にあたっては両眼倒像鏡またはボンノスコープを用い、散瞳下において検査することが求められ、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎週数三四週以前のものについては、生後三週間以降において、三カ月までは一週一回眼底検査を施行すべきであるとされている。

(3)  被告安永正民本人尋問の結果によると、被告安永が、原告真美子の眼底検査を行った際、看護婦が原告真美子を抱いて固定し、河本式といわれる単眼倒像鏡で行い、散瞳剤、点眼麻酔剤及び強膜圧迫子は使用しなかったこと、被告安永は原告らに対して、定期的な検査の指示をしていなかったことが認められ、(2)に照らすと、被告安永が原告真美子に対して行った眼底検査は、当時の眼科医に求められる医療水準からして、不十分なものであり、被告安永には眼底検査義務違反があったというべきである。

(4)  そして、原告真美子は、被告安永の眼底検査義務違反によって、光凝固・冷凍凝固法などの適切な治療を受ける機会を逸したというべきであるから、被告安永は原告真美子の失明について責任があると認められる。

3  被告国の責任

(一) 原告らと被告国との間に、昭和五〇年一二月二六日、原告真美子の疾患の治療をなす準委任契約が成立したことについては、当事者間に争いがない。

(二) しかしながら、前記二の2で認定した事実によれば、原告真美子は肺炎等の治療のために附属病院に入院したことが認められ、更に、前掲の<書証番号略>によれば、原告らから未熟児網膜症はないといわれたと告げられていることが認められること、更に、前記四の3及び4で認定した事実によれば、原告真美子が附属病院に入院した時点においては、未熟児網膜症は発症しており、治療不能の段階となっていた疑いが強いことが認められ、これらの事実に照らすと、附属病院の担当医師らに眼底検査をなすべき注意義務はなかったというべきである。

(三) したがって、原告真美子の失明について、被告国には責任はないというべきであって、原告らの主張は採用できない。

4  木場医師と被告安永の責任の関係について

被告安永が原告真美子の眼底検査をなすに至ったのは、木場医師からの依頼によるものであることは当事者間に争いがなく、前記1及び2で認定したとおり、木場医師と被告安永の責任の根拠となった原告らとの間の準委任契約は一応別個のものであるがこの二つの契約は本来診療契約上密接不可分のものであって、被告安永は木場医師の履行補助者ともいうべき地位にあるから、原告らの損害について、木場医師と被告安永は連帯責任を負うというべきである。

六原告らの損害

1  逸失利益

原告真美子は、両眼が失明したことにより終生労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

昭和五〇年度の賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計によると、一八歳から一九歳の女子労働者の平均年間給与額は九九万七一〇〇円であり、一八歳から六七歳までの就労可能期間四九年間の得べかりし労働収入を原告真美子の労働能力喪失による逸失利益の現価をホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算出すると次のとおり一六三七万一三八四円となる。

997,100×16.419(ホフマン係数)

=1637万1384円

2  慰藉料

原告真美子は、未熟児網膜症により両眼を失明し、生涯にわたり社会生活のみならず日常生活においても制約を受けることになり、その精神的苦痛は極めて大きく、その他木場医師及び被告安永の注意義務違反の程度、未熟児網膜症の要因など本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すると、被告ら(被告国を除く)が原告真美子に賠償すべき慰藉料は五〇〇万円が相当である。

原告峯吉及び同凉子については、同真美子が右障害を負ったことにより、同真美子が生命を害されたときにも比肩すべき甚大な精神的苦痛を受けたと認められるところ、原告真美子が未熟児で出生したこと等本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すると、被告ら(被告国を除く)が原告峯吉及び同凉子に賠償すべき慰藉料は各二〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し相当額の費用及び報酬の支払いを約しているものと認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額、その他本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すると、原告真美子は被告ら(被告国を除く。)に対し二〇〇万円を、原告峯吉及び同凉子は各二〇万円をそれぞれ弁護士費用として賠償を求めることができると認めるのが相当である。

七結論

そうすると、原告真美子の本訴請求は、被告安永に対し、被告木場邦子及び同木場聡子と連帯して、金二三三七万一三八四円及びうち金二一三七万一三八四円に対する債務不履行後である昭和五一年三月一一日(原告真美子の失明が判明した日)から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で、被告木場邦子及び同木場聡子に対し、それぞれ被告安永と連帯して、各金一一六八万五六九二円及びうち金一〇六八万五六九二円に対する債務不履行後である昭和五一年三月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度でそれぞれ理由があり、原告峯吉及び同凉子の各本訴請求は、被告安永に対し、被告木場邦子及び同木場聡子と連帯して、各金二二〇万円及びうち金二〇〇万円に対する債務不履行後である昭和五一年三月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で、被告木場邦子及び同木場聡子に対し、それぞれ被告安永と連帯して、各金一一〇万円及びうち金一〇〇万円に対する債務不履行後である昭和五一年三月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度でそれぞれ理由があるから、その限度でこれを認容し、原告らの被告安永、被告木場邦子及び同木場聡子に対するその余の請求並びに被告国に対する請求はいずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を適用し、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官足立昭二 裁判官大原英雄 裁判官横溝邦彦)

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